第五巻 加利福尼州鉄道ノ記 『山ニハ大木ユタカナリ。世界中ニ喬木多キ地ト称ス「ヨーゼミテ」ト云ウ佳山水アリ。大懸瀑アリ。二百丈ヲ下ル。其ノ景色世界ニ伝テ艶称ス。此レモ又、「シイルラネヴァタ」山ノ一部ニテ、其ノ辺ニ大木ヲ生ス。一大樹ヲ切シ株アリ。其上ヲ広堂トナシ、三十人ヲ舞踏セシメテ可ナリト云ウ。』(岩波文庫版第一巻110ページ)
明治4年(1871年)の岩倉使節団に随行した太政官少書記官久米邦武による同使節団の公式記録。おそらく日本人がヨセミテについて記述した最初の文章。彼らは直接ヨセミテまでは入っていないが、サンフランシスコからストックトン経由の鉄道でシェラネバダ山脈を越える途上で上記の内容を耳にし、記録に残した。マリポサ大隊のヨセミテ「発見」は嘉永4年(1851年)であり、それからわずか20年後のことである。