漂石彷徨



最近の読書

「宮本武蔵」
吉川英治(1892-1962)著。昭和10年8月12日~昭和14年7月10日東京大阪の両朝日新聞夕刊に連載。永田鉄山刺殺事件の日に連載開始。連載満2年の直前に盧溝橋事件が勃発し、後半2年間は戦時下での連載となる。途中作者自身もペン部隊で従軍。出征兵士が試合前の武芸者の姿に自らの心境を仮託したためか、当時の読者に熱狂的に支持され、当初400回程度の予定が1000回を超える超長期連載となった。作者も執筆に渾身の力を注ぎ、連載開始当初(43歳)12貫(45キロ)あった体重が連載終了時(47歳)には10貫(37.5キロ)にまで減ってしまったという。(ほんとかなぁ?)坂口安吾(1906-1955)は昭和25年2月の朝日新聞紙上に寄稿した「百万人の文学」の中で、同書を「大菩薩峠」、「出家とその弟子」、太宰治の諸作品とともにこの作品を「評論家やジャーナリズムから独立して、直接に大衆の中によび迎えられて行くもの」、形式だけの純文学よりもはるかに「宗教的な雰囲気をもって熟読されている」として、高く評価している。
お杉ばあさんや又八との掛け合いが長すぎて少々うんざりする部分は確かにあるが、独特の風格があり、なるほど戦中の人々はこういう部分に惹かれのだということが良く分かった。「我ことにおいて後悔せず」云々の部分を読んでいて、山田二郎の「どこからどう振り返っても悔いのない山」という心構えは、山本雄一郎、加藤喜一郎らを介して、ここからスタートしていたのではないかと思ったりした。

「随筆宮本武蔵」吉川英治(昭和11年2月)

「新説宮本武蔵」司馬遼太郎

「青春論」坂口安吾(昭和17年11月、12月「文學会」掲載)

「忘れ残りの記」吉川英治(昭和36年文芸春秋)

「高木文一 初登攀の軌跡」
とにかく酷い内容。半分以上は著者の寝言が続き、旧制成蹊高校や高木文一のことはこれっぽっちも分からない。よくもまあこんな酷い本が出版されたものだ。

「谷川岳大バカ野郎の50年」寺田甲子男
肩の小屋の吉田さんの最後の日のできごとなど、歴史の証言的な価値はある。

「回想の谷川岳」安川茂雄
名著。古典の名に値する。

「街道をゆく/台湾紀行」司馬遼太郎

「屏風岩登攀記」石岡繁雄
以前読んだときはこんなに面白いことに気がつかなかった。とてもいい。

「わが岩壁」古川純一
文章が簡潔明瞭ですごく巧い。

「沈黙の山嶺」ウェイド・デイヴィス著 秋元由紀訳(白水社2015年6月)
すばらしいの一言。構想25年、600冊を越える資料と膨大な関係者への綿密なインタビュー取材、執筆に10年をかけたというだけあって、著者による予断などの粗雑物がほとんど混ざっていないノンフィクションのお手本のような完成度。1921年、22年、24年の遠征隊員全26人の人となりが実に見事に描写され、あたかも膨大な人物が登場する「三国志」や「坂の上の雲」を読むように、長さが全く気にならなかった。学生時代に深田久弥の「ヒマラヤの高峰」を読んで以来、モーズヘッドやノートンやサマヴェルがどういう人物だったのかずっと知りたかったので、読み進めるにつれてジグソーパズルの空白が埋められていくような快感を覚えた。オリヴァー・ウィーラーの日記の話は特に興味深い。ジョン・モリスが日米開戦直前まで母校で教鞭をとっていたこともこの本によってはじめて知った。図書館で借りて上下1度ずつ延長し、下巻の延長日に読み終わったので、通勤電車の中だけで読むのに6週間かかった計算になるが、購入して手元に置いておきたくなってしまった。
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# by tagai3 | 2015-06-06 13:36 | 書評 | Comments(0)

邂逅

4月25日(土) 晴れ
何年か振りで中津川を見に行く。4:30に家を出て着いたのは8:00。満々と水をたたえた滝沢ダムを目にし、貯水量を確認してこなかったことに不安を覚えたが、案の定、旧車道直下まで水が来ていて岩の頭がかろうじて見える程度。Y&K社の「日本〇〇エリア上」(2014年5月初版)という本には、次のように書かれているが、信じた私が馬鹿だった。

「一時は滝沢ダムの建設によって水没すると噂されていたが、もはやその心配はなくなったと言って良いだろう。」

8:30撤収。奥多摩某所に転進。到着10:30。河原で一人岩を見上げていると、車窓からこちらを見ている人がいる。Hさんのようだが、そのまま走り去ってしまったので、登り続けた。13:00撤収。帰路、石川SAで電話をすると果たしてHさんだった。

4月26日(日) 晴れ
東京Tホテル。立ちっぱなしは疲れたが、会いたかった人たちや懐かしい人たちにお目にかかれたのは嬉しかった。

4月29日(水) 昭和の日 晴れ
奥多摩某所。高出力を持続するにはどうすればよいのだろうか。

5月2日(土) 晴れ
電車とバスを乗り継いで聖人ボルダーへ。自宅から約3時間で11:30頃到着。ずっと座れたので「宮本武蔵」を読んで過ごした。岩場には1パーティが居る程度で至って静か。ボルダーには誰もいない。しみ出しもほとんどなく、日陰で暑さも気にならない。マットがいらないというのは本当だった。12:00登攀開始。まず「柚子」(1級/初段)を触る。傾斜や岩質に慣れないためか、ムーヴの解明に手間取った。キョンの深さに工夫が要る。左隣の7級のガバを触らないのはグレードから見て当然だろう。4回目にしてようやく登れる。掛りのよいホールドのエッジが鋭く、手指第2、第3関節の皮が削れた。この程度で腕を張らせてしまうのはきっと精進が足りないからだ。次に「テュララ」(初段)を触る。上部は易しいが、出だしのヒールフックを見つけるのに苦労して登れるまでに6回もかかってしまった。次にこれのSDバージョン「メキラ」に取り掛かる。ムーヴはすぐに分かったが、この頃にはもう、つなげる力は残っていなかった。14:00撤収。辺り一面にシャガの白い花が咲いている。気が付けばフジやキキョウも今が盛りのようだ。14:06のバスは出たばかりで、14:52のバスで帰路に就いた。「宮本武蔵」読み終える。18:00帰宅。

5月4日(月) 緑の日 晴れ
田中君の右側のラインを触りに行く。アンダーから遠いガバを取るのに苦労する。おそらく8回くらいはやった。途中若いカップルが来る。下部や上部のトラバースを含め、トレーニングにはいい場所だと思っていたが、ここにも一般化の波は押し寄せてきているようなのでがっかりする。彼等が来たあと2回目位で登れたので撤収。滞在時間は8:00~9:30。帰途、吉川英治記念館に立ち寄る。開館時間前なのに入れてくれた親切には恐縮した。2度目だが、何度来ても落ち着きがあっていいところ。入館料500円は安いと思っているが、吉川英治についての文献資料、せめて全集くらいは常時閲覧できるようになっていれば尚いいのにと思った。「忘れ残りの記」を購入。

5月10日(日) 晴れ
奥多摩某所。滞在時間7:00~11:00。わずか11手がつながらない。苦汁をなめて撤収しようとしたところ、Hさんがやってきたので1時間程雑談してから帰った。
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# by tagai3 | 2015-05-03 12:24 | クライミング | Comments(3)

他にやりたいこと

何のしがらみもなく自分の自由になる時間が出来たら、迷わずどこかに登りに行きたいと思う。他にやりたいこともそう多くはない。もともとは若い時代の虚無感から自分を救ってくれたものだったので、それが生活の中から完全になくなると軽い鬱状態に陥るのではないかという危惧は常にある。とても誉められた精神状態ではないが、決してこんな人たちばかりじゃないと思う。きっと真面目な先輩も沢山いたはずだ。戦中戦前の登〇行なんかを読んでいると特にそう思う。
最近、吉川英治の「宮本武蔵」を読んでいる。理由は山本タコさんがお好きだったと加藤喜一郎著の「山に憑かれた男」に書いてあったから。70年前の学生の気分はなんとなく想像できるのに、今の学生の気分が全く想像できないから不思議だ。
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# by tagai3 | 2015-04-07 22:38 | クライミング | Comments(0)

渋滞

3月29日(日)晴れ後雨
雨の予報は夕方からで夜は用事があったので、早起きして奥多摩の某所へ。自宅からほぼ2時間。クオリティが素晴らしいだけにやや遠いのが玉に傷。8時登攀開始。朝一は指が痛くて厳しく感じたムーヴが暖かくなると易しくなることを痛感し、今更ながらアップの重要性を再認識する。この日は河原のフェースとメインの岩の右上ラインのランジ部分だけを触った。いずれも登れなかったが、精度が徐々に上がっていくことにひとり満足する。混雑を気にする必要はないので実に快適である。下地の整備が進み、フェイスも見違える程きれいになっている。Hさんがかなり頑張ったことは間違いない。11時撤収。秋川で昼食を摂った後、13:00頃高速に乗ったが、高井戸で事故があった直後だったらしく、2時間近く調布の先で停車させられることになった。高井戸を抜け、車が流れ出した頃、空から大粒の雨が落ちてきた。
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# by tagai3 | 2015-04-02 22:38 | クライミング | Comments(0)

陽成院

2月15日(日)
同所。最初に犬の声が聞こえた時はさほど気にならなかった。それがだんだん近づいていることに気づいた時、にわかに不安になってきた。最寄りの民家はここから歩いて小一時間はかかる。するとあの犬は普通の飼い犬ではない。猟犬か?野犬か?いずれにしても危険であることに変わりはない。丁度5メートル程の石にロープを垂らして掃除の準備をした時だった。岩の裏面の傾斜は緩く、犬なら容易に駆け上ることができるだろう。ロープにぶら下がってやり過ごすにしても、一体どれだけ辛抱したらよいのか?荷物はどうする?地味な服装を獲物と誤認されて散弾銃で撃たれでもしたら、それこそ一巻の終りだ。嗚呼、面倒なことになった。そんなことを考えている間にも、鳴き声はどんどん近づいてきた。ついに200メートル程先の舗装道路の角に茶色い獣の姿を認める。体長1メートル。秋田犬のような姿だ。覚悟を決めてロープにぶら下がる。犬はしばらくこちらに向かってしきりに吠え立てていたが、ある時を境に急に鳴くのを止め、いつの間にかどこかに行ってしまった。人の気配がないところをみると、やはり野犬だったのだろうか。
そのまま2時間、苔との格闘を続ける。いい加減腰が痛くなって小憩していると正午の時報が聞こえた。その後、1時間だけ触る。重要そうなホールドが欠けてしまったが、何とか解決できそうな気配はある。

2月21日(土) 晴れ
同所。日陰の積雪約5cm。件の石は谷間の風が通らないところにあるため濡れていた。あのホールドは濡れていて止まるほど甘くはない。徒歩30分のアプローチは全くの徒労に終わった。完全に登る気でいたので至極残念。まあ、こんな日も珍しくはないのだが。

2月28日(土) 晴れ
同所。行くつもりはなかったが、偶々時間が空いたので行くことにした。11:00発13:00着。登攀開始14:00。木曜の雨にもかかわらず、フェイスは思いのほか乾いていたが、クラックはしみ出していた。やや右側からスタートし左足を小スタンスに乗せるという一手目の勘所を思い出すまでに時間をかけ過ぎ、無駄撃ちしている間に大切な指皮を削ってしまう。何度目かの左手のデッドポイントを取り損なった際、指の甲側を擦りむく。傷は小さかったが岩の粒子が荒いためか、結構長い時間出血が続いた。
当初、中間部のシワをクリンプで刻む方法を考えていたが、右面の苔を剥がすと上手い具合に足を乗せられそうなクラックが出て来たので一気に右上のポケットを狙う方法に切り替える。だが問題はポケットの内面がギザギザしていて痛いことだ。取り損なえばますます指皮が削れてしまう。
3度目にしてようやく止まる。やった!ついに解決できた!今宵の晩酌の味は格別だろう等と思ったのも束の間、不用意に持ったリップのエッジが剥がれ、それを右手に持ったまま足を下にして4m下の地面へ。抜け口は全く問題なかったのに...。杉の枝が積もった下地は柔らかく怪我はなかったが、右手に持ったままのエッジの破片を地面に叩き付けたのは言うまでもない。ボロボロになった指皮の回復には2週間はかかるだろう。16:55撤収。こんなに遅くなったのは初めてだったが、おかげで帰路の渋滞状況を学習できた。

3月14日(土) 曇
同所。6:10発。8:30着。麓の山門から岩場まで頑張って歩いて17分。呼吸が落ち着くのを待って9:00登攀開始。集中できたためか、この日1回目で登れる。掃除し始めた時には二、三段はあると思っていたが、登れてしまえば意外に呆気ない。1級位にも感じるが、みたけの「でっどえんど」や「ねこすな」等よりも確実に難しく、おがわやまの「さつき」等と同じ種類のムーヴで同程度の難しさはあるようなので、初段は付いていいと思う。元々は別の人が見つけたエリアで、決して日の目を見ることなく再び苔に覆われるのは時間の問題なのだが、結構いい課題だった。右側のクラック(以前福岡のU君が登ったという。)を掃除して登り、11:00撤収。梅は綺麗だったが、杉の花粉は辛かった。
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# by tagai3 | 2015-03-01 10:49 | クライミング | Comments(0)

ロバの耳2

夕刊フジを読みながら老いぼれてくのはごめんだ。
その類の夕刊紙をこれまで買ったことがなかったのは、昔聴いたブルーハーツの曲の歌詞が意識のどこかに残っていたからだと思う。
それが昨日は違った。どうしてもある見出し(〇〇〇大〇〇部主将の義侠心)が気になって、駅の売店で夕刊フジを買ってしまった。読んでみると記事の印象は見出しとは大分異なっていて、一般紙に報じられた内容とさして変わりはなかった。死者を冒涜するような内容がなかったことには少しだけ安堵した。
阿弥陀南稜から入山して行者小屋か赤岳鉱泉に定着し、赤岳から横岳への稜線から派生する岩稜や氷のルンゼを登る計画だったと推測する。さほど深くない山域で道を失い、進退窮まったというからには、よほどの悪天候だったに違いない。ただ、亡くなった2人と別れた3人が無事に山小屋までたどり着けたという点が、どうにもよく分からない。
聞くところによれば、もう何年も前から最近の学生は学生だけで冬山に入る力を失ったと指摘されているらしい。それはある特定の大学に限った話ではなく、ほとんどの大学に共通した問題のようだが、何も分からない状態での憶測は控えたい。
同校は母校のクラブと浅からぬ縁があり、その関係は黎明期まで遡る。私も学生時代、気象観測の手伝いでアラスカに行った折、同校のA君とロープを結び合って氷河を歩いた思い出がある。亡くなった一人は学生部の委員長だったとも。何だか他人事とは思えず、心が痛んだ。
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# by tagai3 | 2015-02-13 22:37 | 徒然 | Comments(0)

王様の耳はロバの耳

(※注:最近は結構色々な方々にご覧いただいているようなので、余り迂闊なことは書けなくなってしまいましたが、たまには毒を吐きたくなることもあります。もともとは自分の頭の整理のために始めたものでもあるので、どうかこのメモは読み捨ててください。内容は今の大学山岳部のあり方についてです。)

頭はいいのかもしれないが、話が噛み合わない。もっともらしい言葉を並べているが、どうしようもなく言葉が軽い。会話からでは真意ほとんど汲み取れなかった。「巧言令色鮮矣仁」という言葉が頭をよぎる。真剣にリスクと向き合う姿勢が欠けているのかもしれない。クライミングの享楽的な側面ばかりが強調される世の中では、そうした風潮に毒されないことの方がむしろ難しいのだろう。まさかジムに行くなとは言えないが、登攀能力と安全管理能力の不均衡が無様な迄に拡大していることは、ほんの少し話を聞いただけでもよく分かった。大きな事故の芽は着実に育っているが、彼らにその自覚は皆無だ。かと言って、彼らにそれを気づかせるのは至難の業だろう。

一旦決めた決まりを守ることに拘泥して状況の変化を観察できなくなる位なら、そんな決まりに意味はなく、むしろ有害でさえある。ヘルメットの着用義務化はその好例だ。彼らはおそらく他人が上部にいる脆い岩壁を背後にしても、平気で座って喋っていられる類の人間だ。

個別具体的な失敗に対して、間接的な要因を探る余り、反省がひどく観念的になっている。危険が即物的で具体的であることは山の明快さの一つだと思っているが、あのような反省を続けていたら、ますます本質から乖離してしまう。指導者側で暗黙裡にミスリードしていなければいいのだが。

母校の山岳部にクライミングチームなるものができて、既に10年を経過した。私はもともと、クライミングはクラブ活動とは相容れないものだと思っており、外的危険を完全に排除したところからスタートする所謂大衆化がもたらした諸問題の解決策が世間的にも見出せてない状況下で、組織の存続だけを目的に安易にこのような団体を立ち上げたことに対しては、余りにも無責任だと批判的に見ていたので、これまではなるべく関わり合いを持たないようにしてきた。何年か前に米国ですれ違った時には、外人の振りをして逃げようとしたことさえある。そのときの彼らは実際、酷く甘ったれていて、見るに堪えない集団だった。海外遠征と称して個人的な海外旅行の類にOBが資金援助するなど全くもって言語道断だし、最低限のギアぐらい自分の金で買うべきだと今でも思っている。

しかし、一昨年の四川省計画を通して、若いS(彼は卒業間際に退部を余儀なくされた。)やKと山行を共にする機会を得て、少しだけ考えが変わってきた。現在コーチをしているIも実に真面目である。何よりも恩のあるM先輩がヘッドコーチとして孤軍奮闘しているのを黙って見ているのは仁義において忍びない。自分ももういい年なので、これまで人様から享受した様々な恩恵を何らかの形で別の誰かにお返しする時期がきているのかもしれないとも思う。

けれども、保護者会の開催だけは、やってはいけないと思う。溝手康史の本「登山の法律学」(東京新聞出版局2007年)によれば、大学生は法的には「大人」とみなされるが、善管注意義務の範囲は指導者側のコミットメントに応じて拡大されるらしいので、そんなものを開催してしまえば、自ら保護者の責任を引き受けるという意志表示とみなされ、事故時に過剰な責任を負わされかねない。これでは恐ろしくて、学生と山になど行けなくなってしまう。そうまでして組織を存続させる意味は本当にあるのだろうか?

功利主義的、ご都合主義的な言葉で入部勧誘しているとしたら、迎える側にも問題がある。死亡や重度障害の危険が皆無ではないという認識は、この行為を行う際の最低条件だと思うが、それが徹底されていないとしたら、もはや手の施し様もない。ましてや大学のクラブは社会常識や集団生活の規律を学ぶ場でない筈だ。
一体、彼らは何のために部に在籍しているのだろう?金か?(彼らはクライミングジムに通うための費用の援助を受けている。)就職のためか?

伝えるべき「価値」とは一体何なのか?これについての共通認識があるのかどうかも実ははっきりしない。監督との価値観の相違ははじめから分かっていたが、どうもIの価値観も、私のそれとはかなり異なるように思える。認識合わせをする機会はあるだろうか?

リト・テハダ・フロレスの論文「ゲームズ・クライマーズ・プレイ」(岩雪93参照)によれば、ゲームの区分はルールの存在に由来し、そのルールは本質的にクライマーの主体的な判断に委ねられている。外的な危険がほとんど存在しない環境で最高に厳格なルールを適用する行為がボルダリングゲームの定義であるとすれば、外的な危険に対する認識が欠如した者にとっては、そもそもこのゲームは成立しないことになる。ましてや、登攀体系中の下位に属するゲームのルールを上位のゲームに適用するハイボルダーのような行為は認めていい筈もないのだが、この辺の基準が酷く曖昧になっている。(※これとは逆に、マットの使用は上位のゲームのルールを下位のゲームに適用する行為で、恥ずかしい行為なのだという認識は持っていた方がよい。)
ミズガキのマルチピッチの計画書とミタケのボルダーの計画書が全く同じ体裁を取っていることは、こうした認識の欠如を如実に物語っている。ひょっとしたら、ハイキングとボルダリングの危険性の区別すらついていないかもしれない。そんな計画書は、見れば見るほど不安になってくる。精神衛生上よろしくないのはいわずもがな。内容が貧弱だから形骸ばかりが目立つのか、それとは逆に、形骸の方が肥大化してきたのかは判別に苦しむところ。いずれにしても、使いもしない最新装備をいくつもハーネスにぶら下げて岩場にやってくる勘違いした中高年登山者や、内容のないことを隠蔽しようとして、ひたすら八の字結びだけを繰り返させるクライミング講習会によく似ていることだけは間違いない。
登攀能力と安全管理能力の不均衡の解消が問題で、安全管理能力を高めたいのなら、安全管理のみに焦点を絞った計画書を作成すべきだ。そこには課題名やグレードは必要ない。どうせ書くなら、岩の形状、大きさ、傾斜、下地の状態、植生の有無、東西南北の方角、日射の時間等を書いた方がよっぽどましだと思う。
「地震時の対応」と「事故時の対応フローチャート」が毎回付いているのは、何も考えずに同じ書式を使い回ししていることの何よりの証拠だ。テロや隕石落下時はどうするつもりなのか。毎回同じフローチャートをコピペする位なら、別紙にして毎回持っていけば済む話ではないか。体裁だけが立派な計画書を作成し、入下山の連絡までしている位なら、それぞれの計画に対応した準備会と反省会を毎回やって然るべきだと思うのだが、どうもその様子は見受けられない。なんとも不可解。

管理したい者と管理されたい者。ミタケのボルダーに行くためにわざわざ計画書を出させて管理する意義や目的は不明だが、実は管理されたがっているのは、在籍している学生たちの側だったりする。そもそも、ボルダーやボルトのスポーツルートだけをやるために、わざわざ山岳部に在籍している意味が私には理解できない。いやしくもクライマーたるものに管理されることを望む人間はいないと信じていたが、世の中は変わってしまったのかもしれない。
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# by tagai3 | 2015-02-04 22:42 | 徒然 | Comments(0)

蜜柑

2015年1月25日(日) 晴れ
隣県某所。昨年の療養中にNさんに教えてもらった岩場へ。早出の必要がないのは実に楽だ。混雑に耐える苦痛に比べれば、掃除の手間はむしろ快楽とさえ思える。日射しは暖かく、冬眠から迷い出たミツバチ?に足を噛まれた。前回は見るだけだったSDSの前傾クラックを登ってみる。1級位と聞いたが、ちゃんとしたフィンガージャムが必要だったり、マントルも微妙だったりして、非常に面白い。側面のスラブもスリルがあって面白かった。10:00発12:00着で13:30まで登り、残りの時間は岩の見学に充てた。15:30撤収。しばらくは楽しめそうである。

2月1日(日)
同所。

2月11日(水)建国記念の日
同所。
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# by tagai3 | 2015-01-26 22:25 | クライミング | Comments(0)

韮と雪

2015年1月2日(金) 晴れ
前回と同じ電車でみたけへ。「瀬戸際」歯が立たず。マットが欲しい。2級の直上をSDSで登る。「猫砂」を登って撤収。帰路「私の家」を登る。ヒールフックは膝痛によくないことを発見。前回と同じ15:57の電車で帰ったが、15:41のホリデー快速の方が楽だったに違いない。

1月4日(日) 晴れ
「ニラ」を触りに行く。非常に寒い。他の課題が無いので触りながらアップをする。足が切れ、振られた拍子に剥がされることが続いたので、足のフックをあれこれ工夫してみる。どうにか自分に適した位置が見つかり、マントルを返すことができるようになったが、何度目かに落ちた際、後ろに倒れて水流にはまる。急いで着ていたフリースを脱ぎ、肌まで濡れることだけは免れたが、絞って干しておいたフリースがたちまち凍りついたのには驚いた。岩に日が射し始めるのは10:00過ぎ。日射しがあれば何とか登れる暖かさになる。朝は少し寒すぎた。11:00頃SDSからの下部を解決し、つなげる体勢に入るが、そのころには既に力が残っていなかった。帰路「トンネルビジョン」を見学し、12:00撤収。7:30から登りはじめたので4時間半も登っていたことになる。この日は少し頑張り過ぎた。

1月10日(土) 晴れ
「ニラ」を触りに行く。寒さを避けるため出発時間を1時間遅らせ、8:30登攀開始。マントルに苦労し、ムーヴが固まっていなかったことに気づく。右手を寄せずに一気に左手を送ればいいこと、奥のクリンプに右手を伸ばす時には右足を上げる必要があることに気づいた時は既に10:00近かった。日が射し始め、いよいよこれからという時、8人位の集団がやって来てたちまち岩を取り囲み、あっという間に登れるような状態ではなくなってしまった。寒さよりも問題はこちらの方だった。開始時間を遅らせた自らの迂闊さを悔やんだがもう遅い。かなり残念だが、撤収を決める。岩への接し方は色々あっていいと思うが、彼らのような、集団の価値観を問答無用で押し付けてくるようなやり方は、ある種の暴力と言えるのではないだろうか。それにしても、集団でボルダーに来る連中の顔付きは、どうしてあんなに間抜けに見えるのだろう。緊張感がなく、思慮分別のなさが表情に出ている。「トンネルビジョン」に移動してこれを登り、10:30帰途に就く。「トンネルビジョン」を登った位では溜飲は下がらなかった。

1月12日(月) 成人の日 晴れ
「ニラ」が登れる。5:00発7:00着。この日の東京の日の出は6:51。古里から先にはうっすらと積雪があり、運転には神経を使った。岩の状態が気にかかる。到着後、河原に降りてみると登れそうな状態だったので一安心。7:30登攀開始。風は天気予報を心配した程ではなく、寒さも耐えられる程度だった。
まずはアップとして上部を確認する。一昨日考えたムーヴに間違いがないことが分かった。この日2回目でつながる。石の上に立ち上がった後、トラヴァースして降りるまでが怖い。登れた時に限ってカメラを回していないのを残念に思った。その後3回撮影を試みたが、ヒールフック時の膝の痛みが耐えがたくなってきたので諦めて撤収。8:30頃だった。4か月前に触った時は絶望的だっただけに、登れたのはとても嬉しい。
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# by tagai3 | 2015-01-12 16:35 | クライミング | Comments(0)

2014年を振り返る

1/ 1 (水) 元旦 鷹取山①
1/ 5 (日) 鷹取山②
1/12 (日) 十里木①
2/ 1 (日) 十里木②
3/ 8 (土) 十里木③
3/15 (土) 戸倉山~臼杵山 ハイキング
3/22 (土) 久須美
4/12 (土) 雷電山~辛垣城址 ハイキング
4/26 (土) 池田フェイス①
4/29 (火) 昭和の日 池田フェイス②
5/ 3 (土) 憲法記念日 池田フェイス③ 「もっとDHA」(5.12ab)
5/ 6 (火) こどもの日 池田フェイス④
5/11 (日) 池田フェイス⑤
5/17 (日) 柴崎ロック① 「ジャックポイズン」(5.13a)
5/25 (日) 十里木④
5/31 (土) 瑞牆山大やすり岩 「夢のカリフォルニア」、「ハイピークルート」

6/10 (火) (気胸再発)

 7/12 (土) 柴崎ロック②
 7/21 (土) 涅槃岩 「エスパー」(5.12ab)
 7/26 (土) 柴崎ロック③ 「おちこぼれ」(5.11c)O.S.
 9/14 (日) 笛吹川東沢釜沢 沢登り
 9/23 (火) 秋分の日 白妙 「レバ」(初段)、「Bクラブ」(初段)
10/4 (土)-10/9(木) 屋久島 愛子岳 ハイキング
10/11 (土) 神戸 「ディエス」(初段)
10/19 (日) 柴崎ロック④
10/26 (日) 御岳① 
11/ 3 (月) 御岳② 「In Tokyo!」(三段)
11/16 (日) 御岳③
11/20 (木) 御岳④ 「私の家」(二段)
11/24 (月) 勤労感謝の日 御岳⑤
12/ 7 (日) 御岳⑥ 「デッドエンド左」(初段)
12/14 (日) 御岳⑦
12/23 (火) 天皇誕生日 幕岩 「貴船」(初段)、「パイプライン」(初段)、「Wプロジェクト」(二段)
12/28 (日) 御岳⑧ 「鵜の瀬岩2級の直上」(初段)

34日のうちボルダーが18日(53%)。いずれも早朝の1、2時間で三段1本、二段2本、初段7本。
低頻度(1or2/週)・低強度(~1Q)・短時間(30~40分)のトレーニング環境と病気持ちの身としては上出来だったと思うが、できないものができるようになる悦びが枯渇し、少々退屈している。
身体に負担を掛けないトレーニング方法の工夫が必要である。
2015年は山にも行きたいが、厳しいかもしれない。
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# by tagai3 | 2014-12-31 15:59 | クライミング | Comments(0)

岩登りについての所感