漂石彷徨



未公開エリアのチッピングについて

2月17日(土)

それまでも身に覚えのない苔が剥がされているのを見ていたので、別の誰かがここに来ていることは分かっていた。美観や植生への配慮を欠いた露骨な掃除の痕跡に多少の嫌悪感を覚えながらも、自分の感性とは懸け離れた拙いライン取りから、自分には無関係とさほど気にしていなかった。だが、それが大きな間違いであったことにこの日気づかされた。

滝の裏の一枚岩のやや高めの課題が登れた後、幸福な気分で残雪を踏みながら味噌桶沢出合に来てみると、どうも様子がおかしい。涸れ沢に渡された2本目の橋のたもとにある岩の、景観に配慮して敢えて残しておいた緩傾斜部の苔が無残にも剥がされ、丸裸にされている。そこから右上の斜面上の岩に目をやると、苦労して掃除した3m程の前傾壁の中央部のホールドが不自然に黄色味を帯びていた。近づいてみて愕然とする。指先2本がわずかにかかる程度だった石灰岩特有の針状の突起がなくなり、四本指すべてが第一関節までかかる三日月型のホールドに加工されていた。周囲の円形状のブラシ痕からみても、グラインダーなどで削ったのはほぼ間違いない。指先に穴を開けないように荷重するのが技術的な核心だった。易しくても(1級程度)、それなりにいいラインだったのに、それが永遠に失われてしまった。憤りと同時に言い知れない悲しみがこみあげてきた。

わざわざこんなところまできて、苔を剥ぐ位の人間なら、そこに登られた痕跡があったこと位一目で判別できた筈だ。にもかかわらず、こんなことをするなんて・・・。非公開・未公開であれば何をしてもいいとでも思っているのだろうか。執拗な掃除跡からみて、あるいは自ら公開したい希望を持っているのかもしれないが、低レベルに貶められたチップルートなど、一体誰が触りたいと願うだろうか。如何に軽薄な昨今でも、こんなことは認められないと思うのだが・・・。センスのない名前が付けられて、ある日動画でも公開されるのだろうか。何とも浅ましい。静かな環境が好きで昨年来度々足を運んできた。近いうちに親しい友人たちを案内したいと思っていたが、そんな情熱も急速に失われていくのを感じた。


削られたライン

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# by tagai3 | 2018-02-19 22:51 | クライミング | Comments(1)

NZ紀行

お土産
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くんた
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デビルズパンチボール
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お宿
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100年前
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白瀬中尉
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# by tagai3 | 2018-01-20 16:59 | クライミング | Comments(0)

NZ準備

距離が同じなら英国に行きたい私だが、安全性の問題であきらめた。ANZUS条約停止中で自主防衛、独自外交路線だから割と安全。
日本のおよそ4分の3の国土に宮城、福島を除く東北4県ほどの人口しかおらず、古代ポリネシア人も最後に到達した辺境の地ともいう。
カンタベリー地震後の復興状況も見てみたい。この国の有名人といえばエド・ヒラリーなので、「わがエベレスト」と「自伝」を読んだ。ついでにウィルフ・ノイスの「エベレスト、その人間的記録」も読んだが、これは面白かった。




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# by tagai3 | 2017-09-16 22:53 | 徒然 | Comments(0)

2017春

燕山
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山葵田
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御判形
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大滝裏
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# by tagai3 | 2017-05-25 22:39 | クライミング | Comments(0)

こばい

2017年2月26日(日)
城ケ崎の「こばい」に行く。城ケ崎は2010年5月以来およそ7年ぶり。最近はこういうところに誘ってくれる同年代の友人がいることをじみじみ有難く思うようになった。10:00頃から16:00頃まで、3人で色々なルートを登る。「こばい」実にいいところ。一羽のイソヒヨドリがじっと僕らを見ていた。
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# by tagai3 | 2017-02-28 22:37 | クライミング | Comments(0)

ゴーストステップ

ようやく池田フェイスの「ゴーストステップ」をレッドポイントすることができた。混雑回避でいつも暑い季節(2007年夏、2008年晩春、早秋)に来ていたことや、病後の体調確認のために取り付いていた期間(2014年春ゴールデンウィーク)もあったことから、10年越し、30回近い(27回?)トライを繰り返す結果となってしまったが、登れたことは非常に嬉しい。貧弱なスタイルであったことについては当然自覚しているが、加齢による体力と気力の衰えや、現下の生活環境を考えると、毎回漸進的な改善を感じながら取り組めたことはそれなりに楽しく、今の自分に相応しい登り方であったような気もする。

ルートの長さは12、3メートル。鏡のような垂直のフェイスに走るリス沿いのホールドを拾って直上する。一見アーケに終始する単純な保持力勝負のルートに見えるが、サイドプル、フィンガージャム(右手人差指のテーピングが有効)、ピンチグリップ、アンダークリング、二本指と一本指のポケット等々、多彩なホールディングが要求される。傾斜がない分、かなり悪いホールドでもある程度なら耐えられるが、指だけに意識を集中させるとあっという間に腕が張り、力が続かなくなってしまう。「幽霊の足跡」とはよく言ったもので、フットワークが攻略の鍵だった。靴はきつ目の方がいい。壁面から飛び出したホールドはほぼ皆無で、ポケットのエッジに押しつける様なスタンスが随所に出てくる。この点は昨今の人工壁の課題とは対局にあるといえよう。

核心は大きく分けて次の4つ。私は④の解決に一番苦労した。クイックドローはやや長めのものを使用し、カラビナは全てゲートを左向きにした。
① 離陸してからボルト2本目右上のポケットを取るまでの一連の動き
② 左手の穴と右手のピンチグリップを使って立ち込み、ボルト4本目直下のガバを取るところ
③ ガバから右手アンダーで体を上げ、左手2本指、右手1本指のポケットをつなぎ5本目のボルト右側のクリンプを左手で取るところ
④ 左手でクリンプを保持しつつ、右手でクロス気味に5本目のボルトにクリップし、J字型のホールドで体を上げるところ

チャートという岩質から、気温の条件も無視できない。3年前の春に全く保持できなかったホールドが今回はあっさり持てたことに驚いた。気象庁の過去データで見ると、最高気温で14℃、平均気温で20℃もの差があったことが分かった。汗ばむ時季に登れるほど甘くはなかったという証左であり、ムーヴそのものが全く別物になった。

ボルトについては、Free Fan 41号で紹介された直後の2003年7月にJFAが終了点の打ち替えとハンガー3枚の交換を行ったあるが、既にその時から14年近くが経過したこともあり、腐食はボルトの軸の部分まで進行している様に見受けられた。これに動荷重を掛けると思うと気持ちが委縮するが、そうかと言ってトップロープでは真上のロープが邪魔をしてムーヴを起こせないため、やむなくハングドッグでムーヴを確認したが、毎回ビクビクしながら取り付いていた。外側が雄ネジなので「KURE556」などの防錆潤滑剤を使えば軸だけ回して取り替えることもできそうだが、面倒臭さに加え「自分だけは大丈夫」という安全バイアスが働いたせいで結局実行できなかった。低すぎる1本目はボルトそのものが不要だとしても、せめて3本目と4本目はなんとかしたかった。

2017年1月14日(土)リード×2回
寒い時期に来たのは初めてで、フリクションの良さに驚く。3年前のことはほとんど忘れており、スタート部分に苦労する。何となく雰囲気が変わったように感じていたが、どうやら木が2本程切られたらしい。用事のため早めに撤収。

2017年1月22日(日)リード×2回、TR×1回
本来やるべきことを放擲して毎週遊び歩いていることへの自責の念に苛まれ、行為の意義について自問自答する。アップで取り付いた「ファーストフィンガー」に怖さを感じたのは寒さの所為か。指の痛さもあって3回が限度。各駅停車ながらムーヴを再構築できたのでとりあえずよしとする。

2017年1月28日(土)リード×3回、TR×1回
1回目でガバまで、2回目でガバから先がつながり、後の2回は上部を練習。ようやく3年前の春の状態(1テン)まで戻ることができた。

2017年2月4日(土)リード×4回
久し振りに他パーティ(2人2組)に遭遇。諸々の文化の相違に驚く。1か月近く雨がなく、カラカラに乾燥した人工林の中で「焼き石」をコンロで炙って平然としていられる神経が信じられない。スギやヒノキは生木でもよく燃える。万が一コンロが倒れて火事にでもなったらどうするつもりなのだろう。これまでベストシーズンを避けてきた理由を思い出す。気が散って集中できず。

2017年2月11日(土)リード×2回
1回目は最後のクリップ直後にスタンスを間違えて失敗し、2回目でRP。逆上がり居残り練習から解放された子供のような気分。正午過ぎに撤収し、帰路、秋川の中華料理店でささやかなお祝いをする。晩酌では350mlの銀河高原ビールを2本空けた。
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# by tagai3 | 2017-02-13 23:02 | クライミング | Comments(0)

低脂肪

2016年11月26日(土)晴れ
前々日の24日、都心では11月としては54年ぶりの初雪が観測され、積雪はわずかながらも明治8(1875)年の観測開始以来初と報じられていた。残雪によるアプローチの懸念はあるものの、翌日は雨の予報が出ていたのでSに無理を言ってこの日に出掛けた。八王子ICを下りると北側の法面には結構な雪が残り、路面も濡れていた。路面の凍結を避けるため普段よりもゆっくりと朝食をとってから氷川屏風岩に向かう。途中御獄付近から望まれる遠方の日当たりのいい斜面に雪がないことに希望をつないだ。
多摩川南岸道路のトンネルを抜け、橋を渡ったところから岩場に雪がないことを確認してようやく安堵するが、それと同時にはたして今の自分に登れるだろうかという不安が再び頭をもたげてくる。トレーニング不足による持久力の不安はいうまでもなく、年相応の疲労回復速度も依然把握できていない。おまけに一週間前に削ってしまった指の皮はまだ完全に回復していない。不安要素をあげればきりがないが、人生においては次の機会が不意に、しかも永遠に失われることが決して珍しくないことを肝に銘じ、手順さえ誤らなければ問題はない筈だと自分に言い聞かせながら通い慣れた岩場への急坂をたどる。
給水タンク脇の果樹園では柚子の収穫が行われ、秋に通い始めた頃は盛りだったイヌタデの花は茎だけを残して霜の中で萎れていた。残雪と落ち葉で滑りやすい箇所はあったものの、鬱蒼と茂る杉木立のお陰で道の状態は心配した程ではなく、C峰上の広場にわずかに残雪はあるものの、流水もなく壁は乾いていた。
懸垂下降でヌンチャクを掛けながら、ひとつひとつのホールドを確認する。20回近くのトライを重ねた今となっては、スタイルへのこだわりはどこかへ行ってしまった。腕が張ってくると、まさかと思うようなところで行き詰まるので、上部は特に入念に確認した。

水を飲んで一息ついた後、心を落ち着けて取り付く。気温が高いとわずかな日射で指先がはじかれるため、これまでは些細な雲行きにさえ一喜一憂してきたが、この日は肌寒く、日差しはむしろありがたい位だった。
この日の一回目。出だしの持ち替えはできたが、二本目のボルト直下、上下に二つ並んだのクリンプの下側右手が持てずに落ちる。このホールドは外傾していて甘く、アーケでは保持できない。皮を庇って人差し指の指先に力を入れられなかったのが原因だろう。
呼吸を整え、すぐに二回目に取り掛る。出だしの持ち替えでフルパワーとなるため、上部での疲労は避けられない。そのため勝負は最初の一、二回に限られる。件のクリンプとその上の左が止まり、足を踏み換える。右側のグルーで固められた突起に右足のハイステップを乗せたところで爪先がわずかに滑ったが、何とかフレークに手が届き二本目のボルトにクリップすることができた。人差し指の掛かる右手のクリンプから左のバンドを取った後、三角形のくぼみの縁に右手を寄せ、ヒールフックでバンドに立ち込んでいく。置きやすいところに左足を乗せてしまうと、次のボルトの直下のホールドに手が届かないため、二つ並んだツノ状の突起のやや下側に左足をかき込む感じで乗せなければならない。ここを突破した後でも、もう三回も失敗を重ねている。うち一回は最後の一手から大墜落した。慎重に右側のスタンスを拾い、がちゃがちゃしたホールドをパーミングで止めた。最後の四手。ホールドは大きいがそれぞれが遠い。この日はなぜかスムーズに身体が動いた。大事を取って最後のリップは小刻みに手を送る。天辺に這い上がり、Sを見下ろしながら終了点にクリップ。小さく歓声を上げた。こういう時は叫んでもいいだろう。Sがおめでとうといってくれた。こんなところに七回もつきあわせてしまったことを心から申し訳なく思う。

回収と掃除のロワーダウン。下るにつれ壁から身体が離れていくことで、下部の被りが如何に大きいかが分かる。それにしても、何と見事なラインだろう。ホールドの配置が絶妙で全く無駄がない。必要最小限のボルトとともに、無駄な贅肉が削ぎ落とされているという意味で「低脂肪」という名は実に相応しいものに思えた。
自分が初めてここに来たのは今から14年前(2002年)なので、草野俊達による初登(1988年3月6日)からその頃までとほぼ同じ長さの時間が流れてしまったことになる。当時は東北から戻ったばかりの頃で、黒本の表紙のマナヴさん、秀峰登高会のMさん、Kさんと一緒だった。その後、二、三度通ったが、マナヴさん、Mさんがその後次々とRPしたことや、アプローチが忌避されて同行者を得にくかったことなどが重なり自然と足が遠のいていった。今の自分の年齢が当時のMさんのそれ(40歳)を既に三つも越えていたことに今更ながら驚く。思えばトライを再開してからの二ヶ月間というもの、自分の心はこのルートに完全に支配され、寝ても覚めてもこのルートのことを考え続けていた。年齢や生活環境を言い訳に、何度逃げようとしたか分からない。そのたびに自分の弱さと向き合うことを強いられた。それも今日で終わりだと思うと、改めて嬉しさがこみ上げてきた。駐車場に戻ってからも、何度も壁を見上げる私を見てSは笑ったが、試練を与えてくれた聖なるもの(?)に対し、遙拝したいような気持ちになっていたことは確かだ。
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以下は氷川屏風岩の簡単な登攀史。
『奥多摩の山と谷』(奥多摩山岳会編・1958(昭和33)年・山と渓谷社)という本には次のような記述があり、氷川屏風岩が登られだしたのが、1957(昭和32)年前後であることが分かる。

「・・・前記二つの代表的な岩場(引用者注:葛籠(つづら)岩、越沢バットレス)以外に注目に価するものとして近年脚光をあびてきた氷川屏風岩があるが、未だ開拓途上にある・・・(中略)・・・何分にも藪が多く、所詮岩場としてはC級の域を出ない」

クライマーによる東京近郊の岩場探しは昭和4年頃から精力的に行われ、青梅線の青梅・氷川(現奥多摩)間の営業運転開始が1944(昭和19)年であることなどから、終戦直後から登られ始めたものとばかり思っていたが、実際は比較的歴史が浅いことが分かる。あれほど見栄えがいいにもかかわらず、社(やしろ)が祭られていないことも考えあわせると、昭和30~40年代に盛んに行われた人工林の植林以前は樹層も異なり、麓からは見えにくかったのかもしれない。これについては地元の古老あたりに訊いてみたいものだ。

また、同会編による4年後の『奥多摩』(1961(昭和36)年・山と渓谷社)という本には、A峰の「懸垂下降ルート」のほか、登路としては、A峰正面ルート(現在の「フェイスルート」(Ⅴ+))、B峰左ルート(現在の「トサカフランケルート」(Ⅳ))、B・C峰間右ルート(現在の「コンタクトルート」(Ⅲ+))の3本が紹介されているもののいずれも易しいフリールートのみで、人工登攀ルートは見られない。この本の出版当時、既に我が国の埋め込みボルトを使用した本格的な人工登攀ルートの嚆矢とされる谷川岳コップ状岩壁や屏風岩雲稜ルートは登られていた(1958(昭和33)年)ので、東京近郊の岩場の人工登攀時代は実は比較的短い期間(15~20年間程度)であったことが分かる。
70年代の『岩場ゲレンデガイド 関東編』(1977(昭和52)年・山と渓谷社)という本になって初めて、「奥多摩の岩場の中でも古くから登られ・・・」とか「人工登攀主体の岩場」という言葉が出てくる。この後、A峰正面のフリー化(1980年)、C峰Dフェイス左ルートのフリー化(「イクイイノシシ」(1984年小林幸雄))、同Dフェイス右ルート(?)のフリー化(1988年「低脂肪」)と続いていく。
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# by tagai3 | 2016-12-05 22:29 | クライミング | Comments(0)

2016年

1/2(土) 御岳
1/10(日) 隣県某所 「すずがも」
1/16(土) 隣県某所 「葉っぱ」
1/21(木) 隣県某所 「猪」
1/31(日) 隣県某所
2/6(土) 宝きょう山ハイキング
2/11(木) 隣県某所 「青鬼」
2/13(土) 隣県某所 「青鬼トラヴァース」
2/26(金) 加波山ハイキング
2/28(日) 隣県某所
3/5(土) きのこ山つぼろ台ハイキング
3/13(日) つぼろ台
3/21(日) 日立御岩山ハイキング
4/2(土) 笠間
4/10(日) 笠間
4/16(土) 赤ぼっこハイキング
4/21(木) 御岳
4/23(土) 山中入偵察
4/30(土) 山中入①
5/3(火) 山中入②
5/5(木) 山中入③
5/8(日) 山中入④
5/14(土) 山中入⑤
5/22(日) 山中入⑥
5/29(日) 道志村 「水源の森」
6/4(土) 鳩ノ巣 「ユーキのアゴ」
6/10(日) 八王子城ハイキング
7/28(木)~30(土) 北鎌尾根D稜
8/7(日) 金山沢①
8/13(日) 太刀岡山
9/3(土) 乾徳山ハイキング
9/25(日) 棒ノ折山(ハイキング)
10/10(月/祝・体育の日) 氷川屏風岩①「低脂肪」×3回(TR)
10/15(土) 氷川屏風岩②「低脂肪」×3回(TR)
10/19(水/有給) 氷川屏風岩③「低脂肪」×3回(TR)
10/23(日) 氷川屏風岩④「低脂肪」×2回(1テン(2ピン目で墜ちる))
10/30(日) 氷川屏風岩⑤「低脂肪」×3回(1テン(3ピン目で墜ちる))
11/5(土) 氷川屏風岩⑥「低脂肪」×1回(最後の1手で墜ちる)
11/13(日) 廻目平(「緑のマント」、「シェルレフト」、「A.I.T」、「雨月」×、「石の魂」×)
11/16(水/有給) 金山沢②(「ケンちゃんマントル」、「双頭の鷲」×)
11/17(木/有給) 霧ヶ峰、美ヶ原(ハイキング)
11/18(金/有給) 廻目平
11/26(土) 氷川屏風岩⑦「低脂肪」×2回(ようやくRP)
12/3(土) 廻目平(「神の瞳」etc)
12/11(日) 権指尾根~本仁田山(ハイキング)
12/18(日) 山中入⑦
12/25(日) 山中入⑧
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# by tagai3 | 2016-11-27 17:53 | クライミング | Comments(0)

安禅不必須山水

2016年9月3日(土) 晴れ
乾徳山へハイキングに行く。何年か前にも一人でボルダリングをしに行ったことがあった。日記にはちょうど10年前の4月29日とあったが、記憶は既に薄れている。いい機会なので靴とチョークバッグとCJ14号のコピーを持参することにした。
塩山から恵林寺を過ぎて大平高原まで車で入る。蕨の草原はHeathとBrackenに覆われた英国の荒野を思わせる風情がある。ミズナラやカエデの林を約1時間で扇平。夢想国師の禅窟の岩を見られない憾みはあるが、道は平坦で歩きやすく、徳和口からの雑踏を回避できるメリットがある。
小憩後山頂への道を辿るが、登山道の経路が変わっているのに驚く。キツネの絵が描かれた看板に剃刀岩や雷岩や雨乞岩等の名前があるが、雨乞岩前後で以前の立札からひとつずつずれていたのが気になった。まあ、どちらが正解でも構わないのだが。
帰路、CJ14と昔の記憶を頼りに岩を触っていく。以前「イムジン」や「プレリュード」だと思った課題は全く別の課題であることが分かった。「ヴギ」の右側、壁の一番被った面を越える。地面からのジャンプスタートを70年代の南カリフォルニアのクライマーたちは「ラルゴスタート」と称したが、彼の地のクラッシックを彷彿とさせる要素があった。10年前、ホールドの剥離を心配しながらガバに跳びついたときの緊張感がよみがえる。登山道の経路が変わったため、現在山頂に向かう登山者は皆この下を通っている。ボルダーの心得のある人なら必ず目を止める筈だ。岩窟正面のSD(3級)より難しいが、それでも2~1級位だろう。10年前にもそう感じたのだからきっと正確なグレードだと思う。岩の天辺でさびたウェーブハーケンを拾った。

[快川ハング(仮称)2級]
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「SMカンテ」(Ⅴ-)、「トラブルタッチ」(Ⅵ)を登り、原人フェイスに移動。1984年当時未登とされた「北京原人」を登るが、極めて易しかった。「ウラシマスラブ」は家内に止められため途中で降りる。正面はかなり難しい(未登?)。
「バンパイア」(Ⅴ)、「イマジン」(Ⅵ+)を登って帰途に就く。タイトルは信長に焼かれて亡くなった恵林寺所縁の快川禅師のことば。行為の質は場所や状況によらず、意識の持ち様にあるという意味らしい。昔の課題は易しいが、探せばそれなりに難しい課題が見つかるかもしれない。

[おっぺそ岩「イマジン」(3級)]
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# by tagai3 | 2016-09-04 15:46 | クライミング | Comments(0)

静寂

8月7日(日)晴れ
始めて金山沢ボルダーに行く。アプローチが不便なら人も少ないだろうと考えたのだが、予想に反して知人たちのパーティに遭遇した。9時頃登りはじめて13時前に撤収。3つの初段(鷲は舞い降りた・ゴールドマウンテン・逆トラマン)が全て登れ、うち1つ(鷲は舞い降りた)を1回で登れたのは嬉しかった。「鷲は…」のSDスタートは次回の宿題に残しておいた。韮崎周りで帰る。信玄餅で有名な桔梗屋の食堂で昼食。コストパフォーマンスが良く、また利用したいと思った。小仏での渋滞で帰宅は18時を過ぎた。
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# by tagai3 | 2016-08-11 12:34 | クライミング | Comments(0)

岩登りについての所感