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漂石彷徨



山上集落と杉の巨木

12月16日(日)
ロープウェーで御岳山へ。展望台からはうっすらと雪化粧した白根山や男体山が見えた。御岳神社に参拝した後、ロックガーデンを周回する道を歩く。ウソ(野鳥)を間近に観察。綾広ノ滝や天狗岩は予想どおりの印象だったが、昼食に立ち寄った茶店の婆さんが問わず語りに聞かせてくれた話は非常に興味深いものだった。
「・・・青梅線の駅との標高差はわずか600mだが、昔は雪が多かった。今は雪が減った分、寒さが厳しくなった。平成10年以降は旧参道が舗装拡幅され軽自動車が上がれるようになったが、それ以前はケーブルカーが下界への唯一の足だったので、夜中に子供が熱を出しても、ケーブルカーの始発まで待たなければならなかった。今もこの状況にたいした変化はなく、集落の診療所には週2時間しか医者が来ない。舗装道路は登山客には評判が芳しくないが、地元としては大変助かっている。以前は集落にも分校があったが、今では子供達はケーブルカーとバスを使って麓の小学校に通っている。中学、高校と進むにつれ、通学の距離はどんどん長くなる。高校生になれば原付の免許を取ってバイクで通うこともできるが、雪の日にはそれもままならない。昭和32年にI町からこの地に嫁に来た時には、えらいところに来てしまったと思ったものだ。ケーブルカーの開業は昭和9年の大晦日だったと聞いている。太平洋戦争の戦局悪化を受け昭和19年に一時廃止されたが、昭和26年に再開した。娘が通っていた分校の先生は素晴らしい方で、子供達を我が子以上に可愛がってくれた。いつか御礼に伺いたいと思いながらも、ついつい果たせずにいる。・・・」
この話を聞いた後、彼女と下界とを隔てた山道を見てみたくなったので、帰路は旧参道(都道201号線)を歩いて下った。両側に次々と現れる樹齢300年前後と伝えられる杉の巨木が予想以上に見事だった。日本武尊東征の折山頂に武具を蔵したことから「武蔵」の国号が生まれたという由緒もさることながら、重畳と営まれる日常生活そのものが、この山の最大の魅力なのではないかと思った。

12月24日(月) 天皇誕生日の振替休日
路面凍結のおそれがあったため、予定していた三頭山を諦め、十里木から黒茶屋、武蔵五日市の金毘羅山等を歩いた。岩雪169号の草野さんの写真がどこから跳んだものなのか、結局分からずじまい。

12月25日(火)
道祖神ならぬ大口真神(M神社に祀られている山犬の神様)の招きにあいて取るもの手に着かずという訳ではないけれど、かつて友人のホームページで見た岩の写真が気にかかり、有給休暇取得の1日を「田中君」の訪問に充てることにした。正午頃岩場に到着。目星を付けていたので迷うことはなかった。高さ約5m。淡いオレンジに白味がかかったチャートの巨石で、左下から右上にかけて弧を描くように下向きのクラックが走っている。かなり立派な岩である。小さな沢の法面に位置しているので背後には水流があるが、河原は思いのほか広く、この時間帯には岩の天辺を越えて差し込む日差しが水面に揺れていて心地よかった。だが、厳しい寒さに変りはない。入念に体を温めたつもりだったが、初回の試登では指先の冷たさに堪えかねてホールドを離してしまった。3回目でリップを保持する。スローパーの奥のガチャガチャしたところに両手を添えて左足で左壁に立ち込み左手を伸ばしたが、自分のリーチではかなりの無理があった。甘い角でだましだまし2回の中継をしてやっと掛かりのよいホールドに手が届く。次のホールドを探るが、手の届く範囲は水を吸って凍り付いた落ち葉で覆われていたため、力尽きる前に跳び下りた。高い位置での不安定な動作はかなり恐ろしい。改めて岩の上部に回り込み、落ち葉を落としてホールドを探った。上部の木には色褪せたロープが渡してあるが、中央部の木は根の侵食が進んで結構弱っていた。このロープは友人のホームページの写真にも写っているので少なくとも10年以上ここにあったことになる。注意しなければいけない。4回目と5回目では手足の位置を変えて見たがあまり良くないので元に戻し、6回目でやっと登ることができた。時間は13:30。荷物を片付けた後岩に一礼してその場を離れた。
by tagai3 | 2012-12-28 22:53 | クライミング | Comments(0)
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岩登りについての所感

by tagai3